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かまじい、鎌倉ゆかりの地を訪ねたのじゃ〜東北・三陸編 3/3

投稿日:2017年6月26日 更新日:

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どもども、鎌倉のかまじいじゃ。

「鎌倉にご縁のある場所」を訪ねる旅シリーズ。
今回は記念すべきシリーズ第1回目・その3なのじゃよ♬

その3(全3話):三陸沿岸編〜震災復興に向き合う人々と消えない痛み(大船渡・陸前高田・南三陸・女川)

世界遺産平泉を訪ねた後は、三陸で震災復興に向けて今なお頑張っている町を訪れたのじゃ。

 

実はかまじい、2011年の12月にも被災地を訪れていて、当時の「すべてが失われた世界」に言葉を失ったことを覚えているのじゃ。

 

あれから6年。

震災関連の報道は日に日に減り、今では3月11日前後に特番が組まれるものの、一般の人々はおそらく震災の記憶も薄れてきてしまっているのじゃ。

そんな三陸が今どうなっているのかをこの旅で見ておこうと、大船渡・陸前高田・南三陸・女川へ。

 

東北はすごく大きく、いろいろな思いを抱えて回っていると1日2日ではとても回りきることはできないのじゃ。

前回は南から北上して女川が最後だったので、今回は酔仙酒造のある大船渡から南下して女川を旅の最終目的地に。

 

 

まずは陸前高田の「奇跡の一本松」へ。

三陸の海沿いの道路を走っていると、「過去津波浸水地域」の看板が目立ち、ここの線の中と外では見える景色がまるで違うのじゃ。

 

陸前高田の町に入った瞬間に言葉を失う。

何もなくなってしまった町を少しずつかさ上げし、新しい町づくりに向けて少しずつ前進しているようすが。いくつも築かれた山も将来は町の基本の地面のラインとなるはず。

 

と、はるか遠くに松の木が見えた。
さまざまな報道で目にした奇跡の一本松じゃ。

陸前高田に入ったのは夕方だったので、夕日に浮かぶ奇跡のシンボルに圧倒される。

近くまで歩くと、そこにはかつてあった高田の松原の写真が。

これだけの松の林が一瞬にしてなぎ倒され、そしてこの松の木だけが残った。

 

今まで奇跡の一本松という名前は少しオーバーなネーミングだなと思っていたのじゃが、実際に目の当たりにするとこれは奇跡以外の何物でもない。

 

松の木としては枯死してしまい、人工的に保存されているとのことじゃが、よくあの凄まじい大波に耐えたものだ。

きっと当時から陸前高田の人々の希望になったいたはずじゃ。

 

ここで夕暮れになってしまい、慌てて予約していた南三陸ホテル観洋へ。

このホテルも震災津波で一部被災したものの、女将が地域の人のために歯を食いしばって復興の手助けをしたことで有名じゃ。

ホテルそのものは完全に復活していて、そこに泊まっている人やホテルの従業員の方に震災の傷跡を見ることはない。

活気あるホテルで、三陸の海の幸をたくさん使った夕ご飯と、海を目の前にした露天風呂は最高で、今日の疲れが一気にほぐれたのじゃが、このきれいな海は「本当にあの日だけ牙をむいたんだ」…なんてぼんやり考えたりしたのじゃ。

 

部屋の手すりにはごはん目当ての腹ペコかもめたちがたくさんやってくる。

君たちはあの日もこのあたりにいたのかな?

 

翌朝

南三陸ホテル観洋で宿泊した翌朝、近くの南三陸町へ。

この町も甚大な被害があり、ほかの町と同じく全体かさ上げの工事が進んでいたのじゃ。

そんな中、「南三陸さんさん商店街」へ。

最近になってかつての場所から移転したようで、昔の仮店舗よりも数段おしゃれな雰囲気になり、活気にあふれていた。

かまじいはここで地元ののりをお土産に買い、生ガキを食べ、大好きなブラックコーヒーをいただいたのじゃ。

このコーヒーショップ「月と昴」というお店は、昨晩泊まったホテル観洋の女将さんが仕切って作成した「南三陸てん店まっぷ」というスタンプラリー冊子の企画に申し込んだものの、なぜか掲載されなかったとのこと。マスターがさみしそうじゃった(><)

マップチームの方、こちら何かの手違いがあったのであれば新しい版のマップにはぜひ載せていただきたいのじゃよ♬

コーヒーが本格的で復興店舗とは思えないクオリティじゃった。

 

 

そして今回の最終目的地、女川へ。

6年前も女川が最終地だったので、そこでつなげようという流れ。

 

女川へついてびっくり。

6年前のあの何もなくなった町とは一変して、JR女川駅は完全復活、併設の温泉「ゆぽっぽ」はさらにパワーアップして生まれ変わり、駅前から海へ続くモール「シーパルピア女川」「地元市場ハマテラス」「女川町まちなか交流館」など、おしゃれな街が出来上がっていたのじゃ。

聞くところによると、この場所は2015年までにかさ上げを完成させており、駅から海へなだらかな傾斜をつけ、モールの真ん中の道路から日の出が正面に見えるつくりになっているとのこと。

 

感想は正直なところ「他の町に比べてスピードが早い!」

6年前、海を見ながらお昼ご飯のお弁当を食べ、涙がこぼれそうになったあの気持ちが消え去るような復活ぶり。

町ごとに差はあるものの、みんな復活に向けて頑張っているんだなってうれしくなったのじゃ。

頑張っている店舗へせめてものできることとして、「ササニシキの米ぬか石鹸」を買い、焼きガキをいただく。

さて、鎌倉に帰らねば。

最後に、6年前にも行った女川町立病院(現・女川地域医療センター)の高台へ。

あの日は2011年12月11日で、ついた時間が14時半過ぎ。
高台から何もなくなってしまった町を見ていたら、突然サイレンが鳴りだして本当にドキッとしたのじゃ。

それは震災からちょうど9ヶ月の節目の時間14時46分の追悼のサイレンじゃった。

 

そんなことを思い出しながら

駐車場の下に設けられた献花台に降りて行くと、ニュースにもなっていた七十七銀行の碑が立てられていた。この銀行では4人の方が亡くなり、いまだ8人が行方不明。

避難指示を出さなかった銀行上司の責任問題の話もある中、多くの人の「津波に対する危機感の甘さ」がこういった悲劇を招いてしまったのじゃ。決して誰も悪気があったわけではない。

かまじいだってあの日の津波の映像を見たからこそ、結果論としてそんな偉そうなことが言えるのであって、もし自分自身がその場にいても、本当に危険を予知して避難することができただろうか。

できなかったかもしれない。

 

と、一般的な意見としてはそう言える。

これがもし自分の身内に起こった出来事だったら…とてもそんなありきたりな一般論で簡単に片づけることはできない。

 

すごいスピードで復興する女川の町。それは喜ばしいことだし、みんな前を向いて生きていかなければいけない。それは十分わかっている。

でもその向こうには、大切な人を失った悲しみを抱いたままの人がたくさんいて、町の復興とともにあの日のみんなの記憶も薄れていく痛みがあることを忘れてはいけない。

次は東南海地震が来ると言われている中、海沿いの町・鎌倉だって他人ごとではないのじゃ。

 

あまりにも多くのものを奪ったあの震災。

1年に1度追悼をして思いだすだけではなく、もし自分があの悲劇の中に巻き込まれていたら…ということを常に考えて、今の自分に感謝し、そして誰かに伝えていくこと。

それが今、かまじいにできるせめてものこと。

 

そんなことを思いながら旅を終え、いつもの鎌倉へと向かったのじゃ。

 

 

前の記事:その1:大船渡 酔仙酒造のツツジ編

前の記事:その2:義経終焉の地・世界遺産 奥州平泉編

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