どもども、鎌倉のかまじいじゃ。
かまじいは今回、源義経ゆかりの地「壇ノ浦」へやってきたのじゃ。
関門海峡のすぐそばに古戦場あとの碑があるのじゃよ。
義経の「八艘飛び」は有名じゃが、なかなかの流れの早い関門海峡で船から船へ飛び渡った義経はすごいのか、盛られているのかどちらかじゃな^^;
ただ、公園内はとてもきれいに整備されていて、鎌倉にもこういった「美意識」があったらもっといいのになと思ったのじゃ。
関門海峡には吊り橋の「関門大橋」と
関門トンネル
が通っていて、本州と九州を結ぶ重要な交通ルートになっているのじゃよ。
源義経は 一ノ谷の合戦、屋島の合戦、壇ノ浦の合戦が有名なのじゃが、
一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨(現在の兵庫県)で行われた戦い。
一ノ谷の裏手の断崖絶壁を馬で駆け下りた話が有名じゃ。
屋島の戦い(やしまのたたかい)は、平安時代末期の元暦2年/寿永4年 2月19日(1185年3月22日)に讃岐国屋島(現高松市)で行われた戦い。
那須与一が扇を射た弓の話が有名じゃな。
そして壇ノ浦の戦いは平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われたのじゃ。
義経はこんな遠くまできていたのじゃな。
かまじいは改めて感心したのじゃ。