鎌倉が世界遺産に――。 鎌倉の観光情報一覧へ
1992年、ユネスコ世界遺産委員会のリストに鎌倉が「古都鎌倉の寺院・神社ほか」として掲載されてから、「武家の古都・鎌倉」のコンセプトのもと神奈川県鎌倉市は、近隣の逗子市・横浜市・神奈川県と協力し、世界遺産登録に向けて動いてきたのじゃ。
そして2012年1月、念願の国の推薦書がユネスコ世界遺産センターへ提出され、9月には国際記念物遺跡会議(イコモス)による鎌倉の現地調査が行われたのじゃ。
しかし結果は…まさかの「不記載」の勧告。
それを受け、2013年、神奈川県鎌倉市は国からの推薦を取り下げる形でいったん幕を下ろすのじゃ。
しかし、諦めずに再度登録に向けて鎌倉・逗子・横浜市は、他の文化遺産との比較から鎌倉独自の価値を見出し、最低5年はかけてリベンジを狙っているという現状じゃ。
今回鎌倉が落選した理由
鎌倉が世界遺産に登録されなかった原因は何っじゃたか…。
シンプルにまとめると
①戦国社会であったこと
②関東大震災
③慢性的渋滞の起こる土地
④鎌倉というブランド土地の乱開発
の4つが主に考えられるのじゃ。
■最大のネックはそもそも鎌倉が武家社会であったこと。
これは当然と言えば当然じゃが、戦が続く社会の中、当時のことをしっかり記録する余裕などなかったと推測されるのじゃ。
また仮にあったとしてもその後の戦火によって焼失したものも多く、武家社会の宿命ともいえるのじゃな。
■次のネックは「関東大震災」じゃな。1923年に起こった大地震の震源地は鎌倉からほど近かったため、歴史的建造物がほぼ壊滅してしまったのじゃ。
現在の建物は昭和になってから再建されたものが多く、建物そのものに歴史的価値がないのも仕方のない事なのじゃ。
21の史跡を世界遺産推薦したものの、鎌倉時代から残っているのは「鎌倉大仏」「瑞泉寺の庭園」「切通し」などほんのわずかじゃ。
その鎌倉大仏に関してもどのような経緯で創建されたのかはっきりしておらず、歴史を証明する記録がないのは痛いところじゃな。
武家社会の痕跡をきちんと証明できる史跡は「北条氏常盤亭跡」だけじゃった。
「物的証拠」 これこそが今回の落選の最大の要因だったのじゃ。
■③の慢性渋滞も落選要因になったのじゃ。①②に比べれば重要項目ではないものの、世界遺産として登録しようにも大型バスを受け入れる場所も少なく、狭い道でバリヤフリー化もままならない状態ではイコモスの調査団もさすがに首をひねってしまったのではないのじゃろうか。
もちろん世界遺産登録が決定すればその後に街を整備しるはずじゃが、現状の街の状態では整備すらもとても厳しいと感じられたはずじゃ。
かまじいは鎌倉という街が大好きじゃが、客観的にきちんと言えば、道が狭いことは確かに相当なストレスじゃ。武家時代はこれでよかったのじゃが、現代社会では車と人との共存もままならない状態で、「鎌倉は歩くだけで疲れちゃう」と思った方、多いのではないじゃろうか?
■④の乱開発をこれ以上させないためにも世界遺産登録は関係者にとって悲願だったと思うのじゃ。
もともと古都保存法で守られている街じゃが、世界遺産になればさらに乱開発を規制できるのじゃ。鎌倉は都心からも近くブランド力も強いため、不動産業界が開発したくてたまらない立地なのじゃが、文化財の周辺景観を保つには世界遺産登録がいかに重要かが分かるのじゃ。
そして、当然ながら世界遺産登録を快く思わない人もいるのじゃ。例えば観光従事者以外の住民は、「ただ人が増えるだけ」「ごみの投げ捨て」などの問題を懸念しているようじゃ。(世界遺産ではないのじゃが、東京スカイツリーがそうなっているようじゃな。今はどうなのじゃろうか)
かまじい個人的には世界遺産登録は賛成じゃ。住民の一人としては混雑やごみの問題は大変困るのじゃが、街全体が「世界遺産だから」とちゃんとしよう・しっかりしようとする動きは大歓迎なのじゃ。
街が狭くて混雑するのは、この地形にほれ込んだ頼朝公が鎌倉を幕府の地として選んだのじゃから、当たり前と言えば当たり前なのじゃな。
だからネガティブなことばかりに気をとらわれず、将来に向けて前向きに、そして真剣に鎌倉のことを考えるいいチャンスなんじゃと、かまじいは考えているのじゃよ。